2006年03月19日

第9回東京・荒川マラソン大会in ITABASHI
荒川河川敷コース



ついにこの日が来た。50歳を目の前にしてランニングを始めて2年。あせることなくじっくりとじっくりと練習を積み上げて、フルマラソンの大会に参加するまでに至ったのである。

この大会の4週間前に、第40回記念青梅マラソン大会に参加した。それまではハーフマラソンしか走ったことはないが、練習では何度か30キロは走って、距離に対する不安は払拭されていた。
この大会では前半は渋滞に巻き込まれ非常にゆったりしたペースで体力を温存したかたちとなった。後半は下りということもあり、キロ5分10秒を切るペースで残り何キロまでかを走ることができた。
「30キロもハーフのノリで走り切ることができた。」とけっこうな自信をつけるのであった。

特に12月半ばに右ひざを痛め、1月の新宿の大会では初心者のころを別としてのワースト記録を作り、2月も8日ごろになってようやく走ることができるようになってきて、わずかに十日ぐらいでの大会参加で、まずまず満足の行く結果を出すことができたので、つぎのフルマラソンにたいして大いなる希望がわいてきたのであった。
「1月のハーフ、2月の30キロ、3月のフルマラソン、とホップステップジャンプ」と息込むのであった。

さて、この大会は日本有数の参加者がある大きな大会である。初めての参加だし、当日はどんなことがあるかわからないので、やはりフルマラソン初参加であるLSと前日受付けに行くことにした。マネージャーであるPLもやってきてくれるという。まあ、ネタ探し半分であろうが。
自動車を浮間舟渡駅近くのコインパーキングにいれ、もうひとりの冷やかし半分の女子マネを待ち、四人で会場に向かう。

受付けブースは野球場の外野にぐるっと設営されている。もちろんゼッケンナンバー順に並んでいるので迷うことは無い。青梅の時のように体育館の中ではないので、込み合っている感じはまったく無い。駅から会場に向かう人はけっこう見たのだが、河川敷の野球場を何面も使った特設会場には余り人がいないように錯覚すらするほどである。
すぐに受付けを終了する。これで帰宅してシャツにゼッケンをつけ、明日はそのままスタートの列に並べばよいわけである。 ICタグは靴につけるタイプのものであるが、これは当日になると意味がわかるのである。

さて、もうやることは無いのだがスポーツ用品のブースがいくつも出ているので冷やかしていく。ナイキの店は1月の谷川真理の大会の時にも出ていた。よくみるとずいぶんと値段が安い。人だかりもすごい。シューズをじっくりと選んで「カタナフラット・ワイド」の25.5cmを買う。サイズは新品のものだとなかなかよくわからない。
ほかにもウエア類を売っているがこれもずいぶん安い。ただ、自分の欲しいものにはサイズがすでに売り切れであった。 直接ランニングをするわけでもないマネージャーもナイキの靴を買っていた。まあ、「エアマックス」など普段履きにしている人のほうが多いことだろう。
浅井えり子さんの講演が始まったが、あまり面白そうでないので、ちょっと冷やかして帰る。聞いている人は実際すくなかった。ちょっとかわいそうだな。

四人で中華ファミレスで食事をし、家まで送ってもらう。すぐにゼッケンをスキャナーにかけたあと、シャツにピンでとめる。この時間が遠足の前日の小学生のようにわくわくして楽しいひと時である。
天気予報を見ると、朝まで雨が残るようだ。また、雨が上がると北西の風が強くなるという。
「午後に北西の風が強くなる」ということはちょうど復路に向かい風になるということである。いやな予感を感じながら床に就く。


埼京線の駅に行くのには武蔵野線周りのほうが早い。ただ、新座駅まで早朝のバスは無いので歩いていかなくてはならない。五時に起き、餅4個を食べて大きな登山用リュックを担いで新座駅まで歩いていく。家を出るのが六時である。クルマで会場入りするのでないときは、荷物をひとつにまとめる必要からどうしても大きなリュックにならざるを得ない。ただ、本格的な登山リュックは担いでいて重く感じない。
新座駅までの3キロちょっとの道のりはちょうどよい準備運動である。30分ちょっとでやってきた。明け方まで降っていた雨も明るくなるにしたがい、やんでいくのであった。
武蔵野線に乗ったときから、足元をみるとランナーさんとわかる人たちがたくさん乗っている。武蔵浦和で乗り換える人たちもその手の人たちが多く、青梅マラソンのときの青梅線ほどではないものの、埼京線はほとんど貸し切り列車のようなものである。

浮間舟渡駅のプラットホームにはランナーがあふれている。改札が少なく、下で渋滞しているようだ。やれやれ、スタート後のようなことがすでにここで起こっているのか。
そういや戸田公園駅から浮間舟渡駅にくるときに荒川にかかる橋を歩いてわたっている人を少なからず見かけた。埼玉県側の駅で降りて歩いてくるほうが混んでいなくていいのかもしれないな。
ワタクシが浮間舟渡の駅を出たときはまだそれほどの大混雑というほどでもなかったようで、このあとからやってくる人たちはかなり駅から出るまで時間がかかったようなことをいっていた。来期は戸田公園駅から歩いてこよう。
ほとんどの人は駅前の池の公園を抜けて荒川沿いに向かっていく。話を聞いていると「すごいひとだよね」など言うのを聞くが、なに野球観戦に慣れた人ならこんなのは連日のことではある。

自分はきのう来た道を行く。途中の薄暗いコンビニで買い物をして会場入りする。荒川沿いに出たらなんだかぱらぱらと落ちてくる。おいおい、せっかくやんだのにまた降るのかよ。
しばらくしてあとからやってきたLS・PLと落ち合う。下が濡れているのであるが、敷物を持ってくるのを忘れている。アホやな。
しばらくするとPLの仲間の吉野さんがやってきて大きなテントを張っていたので混ぜてもらい着替える。
きょうの見通しについていろいろと話しているのだが、
「3時間半後?遅くともね」といっている。

トランプの兵隊のような格好をした人たちが通っていくが、亀渕友香の率いるゴスペルシンガーたちであろう。
仲間とぐだぐだしているうちに出発時間が迫ってきた。リラックスしているのもいいのだが、あまり緊張感のなさ過ぎることもよくない。今回は長丁場なので準備運動で走ることをしない。エネルギー温存計画である。

スタート地点に並ぶのであるが、この大会は申告時間順にナンバーが振り当てられていて、定められたところに並ばなくてはいけない。ワタクシも決められたところに入る。LSは控えめの申告をしたのかワタクシよりもかなりうしろのほうに並んだようだ。
途中、アフロをかぶった人と記念撮影をしたりする。並ぶところは決められているので、彼らとご一緒というわけには行かない。

スタートまでヒマなのでスタート地点にいてスタンバイしているマネージャーに電話をする。
「送電線のあたりだよ」「え?そんなうしろかよ」「LSはもっとうしろだぞ」そんな会話をする。
いよいよスタート時間が近づくと競馬の「G1レースファンファーレ」が鳴り響き、1万五千人を越える大集団からときの声があがる。

いよいよスタート。近くのスピーカーからゴスペルコーラス隊の歌声が聞こえてくる。亀渕友香さんのソロによる「アメイジング・グレース」は良い。
10分以上かかってようやくスタートラインに来る。ちょうどその時に歌声は「ヤングマン」にかわる。ついたちどまってコーラス隊を指揮してしまう。
これを抜けたところにPLたちマネージャーがいた。
これに声をかけて42.195キロの旅の始まりである。

スタート地点までは歩いて進んでいくようであったが、これを過ぎると意外なことに走ることができるようになる。もちろん前がつかえていてマイペースで走ることができるわけではない。
大人数で距離表示を確認することもできないまましばらく進む。
前に肌色のアフロをかぶった人を見つけ、とりあえずこれに追いつくように心がける。
それにビニール製の模擬ヒップをつけて走っている人もいる。これはすぐに抜いた。

申告タイムは控えめ(というか、けっこう以前の申し込みであった)のために、どんどん追い抜いて若いゼッケン番号のグループに入っていく。もちろん自分よりうしろのスタートでも早い人はいて、それにもどんどん抜かれていく。
このコースは河川敷の防災用のアスファルト道路。普段はサイクリング道路として供用されているようだが、有事のときにはここに緊急車両を走らせるようだ。
荒川の流域のイベントの一環としてこのマラソン大会もあるようで、ところどころにさまざまなイベントが開催されている。TBSテレビでもこれを取材しているようだ。
まだまだランナーは団子なので、抜くときにはアスファルトを離れ土手の端の草付きの地道を走ったりする。ときどき地道を走ると足首を休ませる効果もあってよいようだ。
ただ、雨上がりのためにところどころ水溜りがある。空はだんだん高くなってきてもう雨の降ることはなさそうである。

隅田川の水門のところでかなりのひとが集中する。ここで5キロであるが、電話でPLに連絡を入れる。彼らは電車にて折り返し地点に向かっているところのようだ。
単調な河川敷の一本道を走るために退屈だという話を聞いていたのだが、そんなことは無い。東京の地理や地形に興味のある人間なら、この荒川を下っていくと道路や鉄道と交差するところでは知っている名前の橋の名が出てきてたいへんに懐かしくなる。
「ああ、荒川とこの道路の関係は川から見るとこうなっているのか」という興味が出てくるのである。
戸田橋、新荒川大橋、岩淵水門など過ぎていき、首都高速道路6号線が見えてくると、その先には新設なった立派な東京拘置所が見えてくる。
「この中にホリエモンがいるんですよね」傍らにいるランナーさんに語りかけると、「へぇー、これが東京拘置所なんですか」と感激している。なぜかワタクシは新世紀のはじめにここに何度か足を運んでいる。

イベント会場もところどころでやってくるのだが、走ることに精一杯のランナーさんに、これを見て楽しむ余裕は無い。勇壮な太鼓はいいのだが、民謡民舞など見ても力が抜けるばかりである。
給水の人たちも一生懸命であるが、どちらかというと復路のためにバナナを刻んでいたりするほうが忙しいようだ。往路は水分ばかりだが、まだまだワタクシはこれを取らない。

LSとはすでにハーフで5分ぐらいのちからの差をつけられているので、15キロぐらいまでに抜かれるだろうと踏んでいたのだが、なかなかやってこない。遅いグループに巻き込まれてなかなか前に出て事ができないのだろうか。
荒川の向こうに高速道路が見える景色はわしも好きなほうで、コースの距離表示ももちろん役に立つわけだが、知っている景色が見えてくるほうがよほどペース配分に役に立つ。

快調なペースで走り、どんどん前に出て行く。給水所のボーイスカウトの少年たちとハイタッチをすると彼らは大喜びである。
10キロでもPLに電話を入れる。5キロで電話をしたときに顔面の汗がディスプレーについたためか、ケータイが塩で白くなっていた。けっこう濃い汗をかいているようだ。からだもかなり暖まってきたので、ここで手袋をはずす。

ペース配分を見ると、スタートで10分以上のハンデがあるわけであるが、ここまでにかなり回復していて、ネットでサブフォーどころか、グロスでもサブフォーの期待が持てるところまできていた。
自分としてはそれほど無理して前に出ている感じは無く、流れにのってウマなりで進んでいるという気分であり、このままフィニッシュできそうな気がしているのである。キロ5分40秒平均で行けばサブフォー達成なのである。

15キロでは電話を入れなかった。
このあたり道幅が狭くなるところが有り、若干渋滞が発生するが、まあ長丁場でのよい休憩と前向きにとらえる。長距離では心理的な焦りがいちばんの大敵である。
でも、早い人たちは渋滞したら困るだろうし、さらにうしろのほうの遅いグループに入っちゃうともっと遅くなっちゃうことだろうな。
ちょっと勘違いしていて、JR総武線をくぐればまもなく折り返し地点だとともっていた。ところがここからまだしばらくあるようだ。マネージャーたちはこの総武線平井駅から歩いて折り返し地点まで行っているわけか。

20キロを過ぎていよいよ快調なペース。
すでにスタート時の10分のハンデは取り返し、ネットでサブフォーの組たちに入っている。LSはまだ追いついてこない。ワタクシが快調なこともあるが、やはり遅いグループに巻き込まれてなかなか抜け出してくることができないのだろうか。


折り返し点を通過。2時間3分。実質はこれから10分半をひくのだから1時間52分ぐらいでハーフ分を走りきっている。まあ、のんびりと遊びながら走るときのハーフという感じである。
折り返してちょっといくとマネージャーふたりが声援を送ってくれている。ありがたいことだ。ワタクシのような目立ちたがりランナーにとっては声援は給水にも匹敵するちからを与えてくれるのである。

折り返して土手の上を走るようになるのだが、ここから強い風を感ずるようになってきた。しかも、モロに向かい風である。
「午後には北西の風が強くなることでしょう」どうやら的中のようだ。
土手の上から折り返し地点に向かっているランナーを見ているとLSがやってきたので声をかける。ゆっくりしたペースで余裕があるように見える。後半に備えているのだろう。
ワタクシはというと、この風に負けた。往路あまり風を感ずることが無かったが余裕があまり無かったのかもしれない。
快調に飛ばすことができたのも追い風のためだったのか・・・。それを測ることもできなかったとは情けない。
「グロスでもサブフォー」と意気こんでいたのが一気にすぼんでしまい、折り返しから30キロぐらいまで今回でいちばんつらい旅となるのであった。
強風にさらされてほてった顔面も冷たくなってくる。10キロで手袋をはずしたが、ここで再びつけたほうがよかったかもしれない。

「なんじゃこりゃ、この風は!」(←故・松田勇作

25キロを過ぎるとところどころ歩き出すようになってしまった。先ほどLSとすれ違ったタイム差を考えると、35キロのシャーベットステーションまでに抜かれるぐらいのものかなと考えていたのだが、歩き出してしばらくしたら、すぐに追いつかれてしまった。
彼はこの風の中でもたいへんに元気な様子で、ワタクシにひと声かけたあと、元気に走り抜けていった。がんばってくれ。
このあたりから周りの風景を見たり、ものごとの前後関係を覚えていることができていない。まったく余裕がなくなってしまっているようだ。

28キロまでなんとか来ると「これで3分の2か。風を考えると半分と判断したほうがよいのかな。」と思う。
通常の大会であれば「3分の2」で残りのエネルギーを振り絞るところであるのだが、今日はとてもそんなことにはなりそうも無い。

時間のたつにつれ、風ますます強くなり、往路と復路を真ん中で隔てているラバーコーンもまとめてひっくり返っていたりする。
また、給水所から飛んできたものだろうが、紙コップがかなりはなれたところに飛散している。これでは給水所のボランティアの人たちは片づけがたいへんな苦労のことだろうと同情してしまう。

30キロの近辺だと思うのだが(当時はまったくどのあたりか覚えていないのだが、後日いろいろと書いてあるものを見ると30キロあたりのようである)エイドでおにぎりを配っている。
余裕のあった往路でもこれを準備しているものを見ていて、楽しみにはしていた。荒川静香さんのテレビCMでおなじみの「金芽米」をつかったおにぎりである。

おにぎりといっても幕の内弁当のご飯に使われる俵型の一口サイズのものである。これがおいしかった。
あとから思えばこの強風下で作りおきのおにぎりなど、砂やホコリだらけであろうが、これがおいしかった。
このあとちょっと気力が出てきた。おにぎりを食べる前にもエイドでひと口アンパンをもらって食べているのだが、日本人はやはりご飯だなと思う。

風に抗して走っているランナーのフォームを見ると風の吹いてくる方向に向かって傾いている
ハイスピードランナーが前傾をとるようなものだが、地面に対してはっきりと横斜めになっているのがわかる。自分の姿を見ることはできないが、やはり同様のすがたになっているのだろう。

帽子を飛ばされて遠くまで拾いに行っている人もいるし、ただでさえ疲労が濃くなってくる30キロ過ぎには歩き出したりストレッチを行なったりするひとがずいぶんと増えてきた。
下手に足の筋を伸ばす体操などしたら、かえって足がつってしまうような気がする。
ワタクシは体力面と精神面のエネルギー切れが著しい。サブフォーなどとっくにどっかに飛んでしまった。

12時前になると、用意していたカードラジオをつける。
傍らを抜いていったランナーさんが
「WBCの準決勝ですよね。始まりましたか?」と聞いてくる。
もちろんワタクシもそれを聞く目的でラジオ持参のわけなのだが、試合開始は12時20分ごろのようであった。

東京拘置所、ケーズ電気といった往路で目をつけていた目印の建物は遠くからでものぞむことができる。鉄道の橋も走っている電車を見れば何線かわかるので、だいたいどのあたりまできたのかがわかる。
木根川橋か。わだまさしの歌にあったな。金八先生の桜中学もこの近くではなかっただろうか。かなり頭も朦朧としてきて、おかしな妄想を描いているようだ。

左に大きくカーブしているところの先に人だかりのしているところがある。
どうやら待望のシャーベットステーションのようだ。ここでどっかと大休止をしてしまう。
普通に走ることができていたら、ここは水をとるぐらいと思っていたのだが、もう記録などどうでもよい。参加費のもと取って飲食してくるぞ。
シャーベットは二種類あるようだが、ふたつとも食べた。
評判ほどうまいとは思わなかったが、この際だからと時間がかかっても二種類をたべるのであった。

ここでPLに電話を入れる。
折り返してからまったく連絡を入れていなかったが、むこうも「どうせこの風で余裕が無いんだろうと思っていた。」とのことである。
彼らのように走っているわけでもなく、ただ立っているだけでもやっとのような風だといっていた。
もう、ゴール地点に戻ってきているようだ。

とまってラジオを聞くと、まだまど日本も韓国も点が入っていない。先発投手の上原は大変にコントロールが良いようで、ばったばったと討ち取っていっているようだ。走っていても上原が三振を取るたびに「ヨッシャー!!}といらん気合をこちらも入れるが、上原投手からエネルギーをもらっているような気にもなってきた。

シャーベットステーションで5分以上じっくりと休んでしまった。さて、6分の5来たわけだ。完走は何とかできそうだな。ま、歩きもかなり混じってきているが。

隅田川の水門では風に吹きっさらされて、倒れそうになるほどである。
だがこれを過ぎればあと5キロ。さらに前方には川口市の高層ビルや新荒川大橋も見えてきた。
これは谷川真理マラソン大会の会場。ここまで来ればあと一投足である。
だが足も重くなってきてこの川口のビルがなかな近づかないのはもどかしい。

R122をくぐり、京浜東北線を越すともうあとわずかということになり、ちからはもう出ないのだが、からだが軽くなってきたり、目が明るくなってくる感じすらする。
冬山で凍死する寸前の人間のような感覚も似たようなものだろうか。
ここらあたりまで来るとほかのランナーさんもみんなもう完走が見えてきているので、苦しいながらも明るい感じに見える。
筋肉の冷却剤を使ってくれるところや、最後の休憩だからとベンチまで設けてある。

風はますます強く、からからとコップやゴミが飛んでいく。ボランティアの人たちには本当にご苦労様といいたい。また、ランナーを激励するために太鼓をたたき続けている人や、ゴスペルを歌っている人も同様である。
流域に設けられたさまざまなイベント会場の人たちもご苦労様です。折り返し地点近くにはウルトラマンファミリーがいたな。
また、銭湯の背景のペンキ絵を書いている人もいたが、この風の中で大丈夫だっただろうか(のちほどテレビで見ると、巨乳の根本はるみの入浴シーンがあったようだ)。

京浜東北線から埼京線までのあいだのコースの道路はたいへんに広い。足はほとんど上がっていないことだろう。
気分は完走を目の前にしてたいへんによいのだが、歩幅も小さくなっているようで、なかなか埼京線が近づいてこない。
残りが1キロとなると、ゴールするランナーさんを迎える人たちが多くなってくる。気分は一流ランナーである。
こういうことを考えると、ゴールは国立霞ヶ丘のような競技場を使ったほうが、ランナーも迎える側も盛り上がるものだな。
最後は周囲に知人がいないかを見ながらのフィニッシュ。
この大会の完走証はそれぞれのランナーのゴール時の写真入りのものである。精いっぱいの笑顔のつもりで両手を挙げてゴールする。

ワタクシは大丈夫だったが、風でゼッケンの取れてしまった人も少なくない。ICチップは靴につけるタイプで正解である。このチップを返却にいくときにマネージャーたちにあった。走らなかった人たちもこの大風というか暴風の中をご苦労様でした。
とりあえずスポーツドリンクをもらい、ほぼ同時にフィニッシュした人たちと乾杯。
きょうは完走するだけで、自分に対する立派な勝利である。偉いぞ自分。

チップを返しマネージャーたちと朝に着替えたテントに向かう。
「遅くとも三時間半。」といっていた吉野さんもこの風には勝てず、3時間45分かかっているという。
一方、フルマラソン初経験のLSはグロスで4時間10分少々。ネットでは余裕でサブフォー達成のようだ。
おめでとう。ワタクシもチップを返却しテントに向かうあいだに速報のメールが入ってきた。
4時間28分台か。後半風も強くなく、記録をあきらめずにまじめに走っていればサブフォーだったことだろうと思うが、初出場でそれはあまりにも高望みかもしれない。

吉野さんの仲間たちもテントに入ってきて、ウチのマネージャーも含めて大人数で反省会である。
真ん中にWBCを聞くためのラジオを置き、これをサカナにビールを飲む。
さすがに水分が欠乏しているようでいくらでも入る。
ワタクシも整体の先生から「マラソン大会のあとにテントの中で飲んでください。」といただいた泡盛をだす。
25度の泡盛も、スポンジに吸い込まれる水のようにからだに吸収されていく。

WBCは今まで二度敗れている韓国に雪辱してキューバとの決勝戦に進出を決めた。今日はめでたいのう。
飲んでいてトイレに立つと、たくさんの仮設トイレが強風のためにひっくり返っていた。そしてタンク内の汚物がそとにこぼれていた。暴風とはいえ、すさまじいものを見てしまった。こんなこと起こるんだなあ。
テントを撤収して浮間舟渡までの道のりも立っているのがやっとの風であった。
よくこんな風の中でフルマラソンを走ったものだと、LSと感動するのであった。

PLと別れ、LSと銭湯に入る。この銭湯はランナーさんがやたらと多く、ずいぶんと混んでいた。
体重を測るとずいぶん減っていて、体重計が壊れているのではないかと思った。
池袋で食事をし、清瀬でビールを飲み、9時過ぎに帰宅をする。
体重は帰宅後にふだん使っている自宅の体重計を使ってもみてもかなり減っていた。かなり消耗したということだろう。


月曜日は休みを取り、春分の日とあわせて大会後の二日は休みであったのだが、この一週間はものすごい食欲であった。飲みすぎで肝臓がつらいところがあったのも吹っ飛んでしまった。肉体の限界値を越えたエネルギー消費が行なわれたようで、肝臓のグリコーゲンも出尽くしてしまったようだ。半年に一度ぐらいはこれぐらいのことがあったほうがいいようにも感じた。

台風のような風の中を時間はともかくも完走したことは大きな自信となった。もはやハーフぐらいの距離は普段の練習で走っている。これからはフルマラソンを中心に大会参加をしていきたいと思う。







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