2005年06月05日

第26回奥秩父三峰山マラソン大会
序章
18年ぶりにエントリー




「奥秩父三峰山マラソン大会」・・・・
この大会はワタクシの市民マラソン大会出場の原点。
初めて参加したのはまだ独身青年の頃。いまは無き「ユースホステル新聞」に秩父YHが主催行事として載せていたのを見たのがきっかけだった。
さて、参加手続きをし、前の日に秩父YHに宿泊してみると、単なるユースホステル行事だと思っていたのが本格的な市民マラソン大会と知って驚く。
当時まだ若いからそれなりに走ることはできるものの、大会で走ったことなど無かった。何度もこの大会に出ている(といっても、当時のジョギングブームの中でまだ始まって間もない大会であったが)ような人に
「無理しないで、やめておいたほうがいいかもしれないよ。」といわれる始末であった。
当時、氷河期が近づいているのではないか、というような漫画があるほど冬は冷え込む年が続いた。この大会のときも湖の水面にうっすらと氷が張り、スタート時の気温が0度というような気候であった。
4月第1日曜日の朝9時ごろである。
10キロ走るのも初めてだし、大会参加も初めてということでペースはつかめないし、朝食の味噌汁が逆流して気持ち悪くなったりして、さんざんであった。
スタート地点とゴール地点の標高差が500mあるとはいえ、たかだか10kmの距離を走るのに1時間以上かかってしまった。
この大会以降、負けず嫌いの意識が働き、かなり走るようになった。翌年の大会では54分ぐらいで走った。50歳を越した現在だと、普通に10キロを走るとそれぐらいかかる。
さて、結婚した年は3月の末に結婚式があり、大会はなぜか四月中旬の陽気のよい頃だったように思うが、それに新婚の家内と出場した。
家内はまったくのシロートなので4キロのコースにエントリーであった。
4キロコースのゴールまで手をつなぐようにいっしょに走った。その後、いくらがんばっても1時間を切ることはできなかった。
まだ、夫婦仲良くしていた頃の懐かしい思い出である。
18年も前のことである。

この年を最後にこの大会に参加しなくなった。もちろんほかのマラソン大会にも出ていない。
この大会に出なくなったのには理由がある。
原則的に四月の第一日曜日が開催日なのであるが、結婚してからは仲間たちと集まっては花見を催すようになった。
東京ではちょうどその季節と重なってしまうのである。
マラソン大会よりも花見を優先するというのが当時のワタクシらしい。
まだ仲間たちも若く、独身の連中も多く、多くの人たちがワタクシと家内を慕って集まってくるので、どうしてもこちらを優先するのであった。
正確には「ワタクシの用意する日本酒と酒肴に演出」「家内のしたくする家庭料理」が目当てに人が集まってくるというのだろう。

それから長い年月がたち、友たちも年をとり、所帯を持ってたくさんの人たちが集まってくることもなくなってきた。
ワタクシも50を前にして走るようになり、春にはこの大会のことが気になっていた。
便利な世の中で、インターネットを調べると自治体は必ず公式HPを開設しているので、いろいろのイベントを調べることも容易である。
今年になって大滝村のHPを見ると、「四月に秩父市との合併があるために、マラソン大会の日程はまだ未定です。決まりしだい、ここに掲示します。」旨、公告が出ていた。
「この分だと、今年は出ることができるかもしれない」
三月に入り、日程や要綱が決定したみたいで、大滝村のHPに載っていた。さっそくEメールにて申し込み用紙の送付を依頼する。
四月になったら送ってくるようなことがかかれていたのだが、中旬を過ぎても書類が届かない。
不安になって大滝村のHPを閲覧しようとすると、これがすでに廃止されているようでアクセスできない。それではと合併した秩父市のHPを見るが、このマラソン大会のことなどどこにも出ていないではないか。
このHPに出ていた、秩父市の企画広報だと思われるメールアドレスに「どうなっているんでしょうか?」旨、Eメールをおくり、関係者に転送してもらうように頼んでおいた。
これもしばらく無しのつぶてである。さすがに温厚なワタクシも腹が立ち、いろいろと調べて判明した、大滝教育委員会に電話を入れる。
すると「あ、○柳さん(ワタクシの戸籍名)。メールが転送されていまして、発送しましたのでぼちぼち着くころと思います。合併後データが取り出せなくなっちゃって遅れてしまってすみません。」
合併後のいろいろとあって、事務が遅れるだろうなとは想像がつくし、同情もするが、本当かどうか「データが取れなくなった。」というのは官庁としては危機管理意識が希薄だといわざるを得ない。
翌日、書類が手元に届いたから担当者の言葉は「そば屋の出前」ではなかったようで、きちんと正直に仕事をしていたようだ。
要綱を読むと、西武秩父駅まで送迎バスを出すので、電車でやってきてこれが必要な人は記入することとあった。
参加費の割にはサービスがよく、気に入った。申し込もうと思っていたが、友人が「クルマでいっしょに行こう」ということなので、そっちにすることにした。ただ、それでもスタート地点までクルマで行くことはできずに、近くの学校に自家用車を止め、シャトルバスでスターと地点まで行くことになる。
上り坂の一本道をただひたすら登っていくコースなので、同伴者もいい撮影ポイントに構えていて写真を撮るということはできない。スタート地点・ゴール地点に、走者の荷物を回送するバスに同伴者も便乗して、走者を抜いていくときにシャッターを押したり、声援をかけたりするぐらいなのであるが、彼らも物好きなものである。
もちろん感謝している。

さて、エントリーも終わり、あとは本番に備えて練習に励むわけだが、山岳とはいえ初夏のそれなりの距離のある大会である。はたしてどれだけ調整がうまくいくことだろうか・・・。








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